日本における消防行政のはじまりは、江戸徳川幕府(注1)にはじまるといわれています。
幕府は慶安3年(1650)に、旗本2名を「火消役」に任命、「定火消」(じょうびけし)とよばれる仕組みが生まれました。さらに、享保2年(1717)将軍吉宗の治世に、譜代大名11人に命じて「大名火消」(だいみょうびけし)の制度をはじめ、少し遅れて町火消(まちびけし)も組織化されたのがこの頃と言われています。
それまでの「定火消」や「大名火消」が江戸城や武家屋敷のための消防をおこなったのに対し、ふだんは鳶人足の仕事についている町人を火災時には消防に従事させて、町家、町内を守るというもので、経費は町内自治で運営しました。

当時の町家は木造で、ほとんどが平屋か二階建てであるから、それより高ければ、かなり遠くまで全方向を見通すことができた。 火事場に向かって駆けつける途中、路地などに入って方向がわからなくなったときは、梯子を立て、そのてっぺんに上って火事の方角を確かめ正確に現場に駆けつけたそうです。梯子の長さは4間半(約8m)です。
(1) 町ごとに区割りがしてあるが、火事はどこで起こるかわからず、区割りに関係なく、早く現場に駆けつけ現場に着くと、纏持ちが屋根に上がって一番纏を記し消火します。
(2) 町の火消しは、可能なかぎり全部集まります。
当時の消火は延焼を防ぐための破壊消防で纏は境界線の目印にもなりました。
鳶口 棒の先端に、鳶のくちばしに似た鉄製の鉤(かぎ)を付けたもの。物をひっかけたり、引き寄せたりするのに用います。
竜吐水
(りゅうどすい)
消火に用いる手押しポンプ。水を入れた大きな箱の上の押し上げポンプの横木を動かして、中の水をふき出させる装置のもの。
『木遣り唄』と言えば、消防の出初式のアトラクションに行われる、火消し鳶職達が梯子乗りで合唱する『江戸木遣り唄』が有名です。と言うよりも、大抵の人達が『木遣り唄』とは『江戸木遣り唄』の事だと思っているようです。実は『江戸木遣り唄』は、仕事唄の木遣り唄が磨き上げられて、祭礼の歌にもなり、祝賀の意を持つようになり、儀式などで唄う祝儀唄に変化したものなのです。
関東周辺の鳶職の間では江戸時代末期頃より儀式唄として歌われたようです。
(注1)えどとくがわばくふ【江戸徳川幕府】
徳川家康が慶長八年(1603)に征夷大将軍に任ぜられ、江戸(東京)に開いた武家政権。慶応三年(1867)15代慶喜の大政奉還まで、265年間継続。

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